スタッフ紹介

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非常勤歯科医師非常勤歯科医師  新 真美(あたらし まみ)

こんにちは。最近優歯科の中をうろちょろしている、
新 真美です。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、変わった名字からわかるとおり、院長新啓嗣の妻です。

強烈なキャラクター『夫』の陰に隠れがちな私の、これまでの人生を振り返ってみたいと思います。

【幼少期】
私は、二人姉妹の長女として、地元伊予市の海辺で生まれ育ちました。いつも
潮の香りのする環境で、すくすくと育っていきました(笑)。
二つ歳の離れた妹とは、毎日、小さなことで喧嘩をし、その度に母を悩ませていました。
ちなみに、小さなことというには・・・「この本貸して」「貸さない」、「こっちのケーキのほうが大きい」「私もこっちがいい」、「勝手に洋服着たでしょ」「別にいいじゃない」等々。
今思い起こすと、本当にくだらないことばかり・・。よくもまぁ毎日言い合う事があったものだと感心してしまいます。
こんな時代が中学卒業するまで続いていきました。両親の気苦労はいくばかりかと
考えてしまいます。ゴメンナサイ。

【中学時代】
そんな私の中学時代はというと、運動嫌いであったため、美術部に所属しており、
放課後はもっぱらおしゃべり部と化していました。その当時は、さほど美術に興味があったわけではありませんでした。ただ、担任でもあった顧問の先生が、さっぱりした性格で、気持ちの良い先生だったのです。
しかも続きがあって、高校に入学した私は、またしても美術部に所属したのです。
この時もまた、ほぼおしゃべり部だったのですが、中学時代と違ったことは、少しだけ絵に興味を持つようになったことでした。本気で芸大(東京藝術大学)を目指している先輩を間近に感じたのも大きかったと思います。美術館を好きになれたことは、
大きな収穫です。

【高校時代】
高校時代、周りの友達との話題といえば、恋愛のこと、勉強のこと、進路についてがメインだったように思います。しかし、私はこの時代、進路について思い悩んだことは一度もありませんでした。
私の父は、祖父の代から伊予市で同じく歯科医院を開業しています。小さい頃から
診療室や技工室が格好の遊び場だった私は、父親の仕事姿を周りの友達よりは身近に感じる機会に恵まれていました。

そんな自然な流れで、何の疑問も持たず、歯科医師なるのが当たり前だと思っていました。小学校の卒業文集でも、将来の夢という欄に「歯医者さん」と書いているのです。育った環境ってものすごく影響するんだなぁと、改めて感じます。悪い風にいうと、視野が狭かったのかもしれませんが、この選択を後悔したことは一度もありません。

ただし、大学選択の際はさすがに自分の学力の稚拙さに愕然としました。このときばかりは、もう少し真面目に学問に取り組んでおけば選択の幅が広がったのにと、
悩みもしました。結果をみれば、祖父・父が共に卒業した、東京歯科大学に入学することは叶いましたが、自分への甘さ・だらしなさを、痛感した時期でした。

【大学時代】
大学入学のため18年間住み慣れた愛媛県から関東での生活が始まりました。
愛媛県に歯学部が存在しないため、一人暮らしをする、というのは前々から意識はしていましたが、いざとなると、かなりのホームシックにかかってしまいました。

入学準備の為、一緒に上京した母が、愛媛に帰る日。母の姿が見えなくなった
瞬間、涙があふれてきました。このときの感覚は一生忘れることはできません。
親元を離れて初めて、親のありがたさを知る、とはよくいったもので、朝起きることから始まって、家事全般、お金のやりくり・・・。実家のぬくもり、両親のありがたさをしみじみと感じる毎日でした。

そんな中、運動嫌いの私が、「水泳部」という、なぜか運動部に所属することになりました。
友達に誘われて、という単純な理由だったのですが、この選択によって、私の大学生活は本当に充実したものになりました。日々の部活に合宿、飲み会に旅行。
バカなことも、勉強もいつも一緒にこなしてきました。この時出会った仲間は、はなればなれになった今でも親友といえる存在であり続けています。

入部当初、本当に泳ぐことができず、部活のある日が苦痛で仕方ありませんでした。仮病を使おうと、画策したりもしていました。しかし、毎回そんなことをしているわけにはいかず、水を飲んだり、脚をつったりしながらも少しずつ上達していきました。今まで、「努力」や、「忍耐」という言葉とは無縁な生活を送ってきただけに、人間的にも
成長することもできたと思っています。

【歯科医師として】
そして、辛く険しかった国家試験の受験勉強を無事終了し、歯科医師の免許を取得して、やっとスタートラインに立つことができました。

卒後、私は関東を離れ、広島大学附属病院を研修場所に選び、研修医時代を過ごすこととなりました。
1年目は、緊張の連続で、患者様の治療計画一つ立てるのにも何日も時間をかけ、そのくせ、思い通りの診療ができないことに苛立ち、落ち込む毎日でした。2年目になると、補綴科(主に入れ歯やさし歯、かぶせものの治療の科)に所属していた為、
夜遅くまでの技工作業と日々の診療、医局の雑務に追われていきました。この頃の体力の消耗はすさまじかったです。しかしながら、この科に所属していたからこそ、たくさんの患者様、特に入れ歯を必要とする高齢者の方に接することができました。

卒後の進路を決める時、悩んだ私は、父の仕事姿を思い浮かべていました。私の父が作る入れ歯は、娘の私が言うのもナンですが、素晴らしいものです。
高齢社会の昨今、伊予市もまた例外ではありません。地域の方たちに喜ばれる医療が理想の私にとって、お年寄りの方たちの笑顔は必須事項でした。

大学病院での研修が終わり、私は地元愛媛に戻ることにしました。
将来的に父と一緒に診療所をやっていくと漠然と考えていましたが、まだまだ技術のスキルアップが必要でした。色々な先生の治療技術も身につけたかったですし、見聞を広め、深めていく為、松山市にある兵頭歯科医院でお世話になることになりました。

今までの人生を振り返って、本当に私は、人との出会いに恵まれていると思います。兵頭歯科の院長を軸に知り合えた先生の数は数えきれず、皆さん向上心が強く、
とてもよい刺激を受けました。この頃から、やっと仕事にやりがいを覚えるようになってきていました。
院長は、私が理想とする地域医療を地で行っている方で、毎日勉強になることばかりでした。主人と結婚した時、周りから「ご主人の病院、手伝うの?」と散々聞かれましたが、その後も2年ほどは勤務しつづけました。それほど学ぶべきことがたくさんあったのです。

現在、優歯科と父の診療所とで、皆様の歯を健康にするお手伝いをさせていただいております。まだまだ成長途中であり、頑張っていかないといけません。
元気なスタッフと共に、明るく、気軽にこられる歯科医院作りを目指しております。
私自身の成長と、優歯科の成長とを暖かく見守っていただけると幸いです。
これからもどうぞよろしくお願い致します。