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新 啓嗣とは?
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出生
私は昭和46年2月19日に 父・博文、母・和香子の長男として東京都渋谷で生まれ
ました。(父母はともに歯科医師で、青山で勤務医をしていたそうです。生後6ヶ月で
伊予市に帰ってきたため、当時の記憶はありませんが・・・・。)
私は妊娠8ヶ月目の早産で生まれたため、10日間保育器に入っており、そんな小さな
私を見て両親は「何とかこの子を大きく育てなければ」と思ったそうです。
その結果、私に必要以上のカロリーが・・・・(>^_^<)
私の肥満は、幼少期のs育児方針の結果であり、決して私の責任ではありません。
(責任転嫁)
昭和46年8月 新歯科医院開業
幼少時代
幼少時、伊予市役所前の新歯科医院に住んで
おり、一階が診療所で、二階が住居になって
いました。
当時は歯科医院が少なかったため、1日に100人近い患者さんがいらしていたようで両親は大忙し
でした。
そんなわけで、私はお手伝いの「菅おばちゃん」に育てられたのです。
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見よ!貴重な院長のフルヌード!!菅おばちゃんとの2ショット。
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3歳になった頃、右奥歯にむし歯ができたため父に治療してもらう。泣く寸前。
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3つ違いの弟が生まれる。
かまってほしくて赤ちゃんがえり。
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小学生時代
何より給食が大好きで、この頃からほとんど噛まずに早く食べる癖がついてしまい
ました。
何故なら、おかわりをするためには、他の子達より早く食べる必要があったのです。
おかわりできる人数は限られており、生存競争(?)は厳しいのです。
こうして厳しい生存競争を生き抜いた私は、いつの間にか超デブになってしまいました。
首がなくなってしまった!・・・・(ToT)/~~~
そんな、食欲旺盛な私に更なる危機が迫って
いました。
なんと、地元の中学校に進学すると男子は皆、
丸坊主にしなければならいという理不尽な(?)
校則があったのです。
ヘアスタイルに人一倍こだわりのある私にとって、
到底許容できる話ではありません(?)。
「丸坊主はいやだ!」という理由だけで、私立
愛光中学受験を決意し小学校5年生時より
塾通いが始まりました。
一生の中でこれほど真剣に勉強した時期はない
というくらい必死で勉強したのを覚えています。
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中学・高校時代
もともと丸坊主になりたくない一心で愛光中学に進学した私には、特別な将来目標など
ありませんでした。すでに「丸坊主になる必要がない」という一大目標を達成した私に勉学
に対する情熱はなかったのです。
しかし、周りの同級生は東大・京大などの一流大学を目指して入学してきたエリート集団。
当然のことながら、私は徐々に落ちこぼれていくことになったのです。
高校時代は毎年留年しそうになりながら、いつも追試、補習に追われていました。
にもかかわらず、ドラゴンクエストVの発売日には当然のように学校をさぼって買いに走り
ました。(RPGの魅力には勝てません、今でもやめられません。)
勉強はまったくついていけなくなっていたので、趣味に生きる優雅な生活を送ろうと心に
誓っていたように思います(?)。
ちょうどその頃、もうひとつの趣味とも言える減量を始めることになりました。
今は亡き・鈴木その子さんの「やせたい人は食べなさい」に影響され、トキノ式ダイエットを
始めたのがこの頃です。
ご飯を中心とした日本古来の食事で、徹底的に脂抜きした食生活が半年続きました。
その結果、87キロあった体重が55キロへ。32キロの減量に成功したのです。
高校はというと、256名中252番目という成績で何とか卒業することができました。
そして私立・東京歯科大学に入学することになったのです。
目玉が飛び出るくらいの入学金を払った両親は、心の底から嘆いたことでしょう。
しかし私は、「東京歯科大学」略して「東大」の学生になったのです。(笑)
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